自分が直接関係していない問題に目を向ける


当事者を助けなきゃ社会は良くならない

自分が置かれた立場や環境における問題や改善の主張は絶えることが無い。
一方で、乱暴な言い方をすると、当事者だけが主張する問題や改善点と言うのは、関係しない他人からは興味が沸かなかったりする。

だから、本当の社会的な問題を解決し、社会を良くしたり、生きやすくするには、当事者以外の主張を自分がすることで、当事者を手助けしなきゃならない。

背景

最近では『保育園落ちた、日本死ね』の一連の動きがまさにそうだ。
この騒動が話題になったのは、「保育園に落ちた子育て世帯」だけではなく、刺さるブログ文章が、子育て世帯以外にも響き、シェアが拡散し、大きなうねりになったからだと私は思う。

問題の当事者が改善を主張するのはもちろん大切だし、必須である。
それに加える形で、「当事者以外の共感」が得られる時、社会的なうねりが発生するのだ。

例えば、私ならドローンの飛行規制法案に関して主張することは多々あるが、ドローンに興味が無い方々には、恐らく飛ばせようが飛ばせまいがどうでもいいだろう。
関係しない方々の共感が得られてなくて、うねりが起きてない。

つまり、当事者の改善主張ってのは、他人から見たら「そりゃ、あなたは当事者だから改善をさけぶでしょうけど、私には私で、他の問題があるんだよ」って風に伝わるものなのだ。

「○○問題について署名してください!」とかメールくるけど、こういうのこそ、「当事者の叫び」だけじゃなくて、他人からはどう見えるのか、他人をどうすれば巻き込めるのか、に注意を払うべきだ。

ホントの問題には共感しなきゃいけない

当事者以外も、社会的な問題として捉え始めて、叫びが始まれば、うねりとなり、改善に向かって動き出す。

だから、ホントに社会を良くしたいんなら、自分が関係する問題を取り上げて叫ぶのは、もちろん良いことなんだが、『直接関係しない社会的な問題って何があるのか』、これにアンテナを張るのが大切。

自分に直接関係しなくとも「ホントにこれは当事者にも社会的にも問題やな」と感じた話も自分の意見として発信すべきなんだ。

子育ての問題を、子育てしてない人も共感するとか。
性別の問題に、異性が共感するとか。
若者が老人の問題に意見するとか。
障がい児が身内にいない人が、障がい児に関する問題を取り上げるとか。
http://otokitashun.com/blog/daily/10881/

「無関係な私が言うのはなんですが、」って遠慮はいらないと思う。
当事者が改善を主張し、外野から共感が得られて、うねりが起きる。

これ、大事なポイントだと思う。

ただ、間違っちゃいけないのは、当事者が問題と思ってない事を勝手に思い込みと想像で問題にしちゃあいけない。
これは「無関係なお前が言うな」だと思う。

なんでも問題にしようって話じゃない。
当事者の問題意識には共感しようねって話。

本当に、私以外は私じゃないのは当たり前なのか。
『わたし』を広くするほど、社会は良くなるはずなんだ。
http://liginc.co.jp/241030

 

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空撮映像作家コジロウ
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