ブログを続けるのは、人生の緊急事態にすぐ自分向けの情報が集まる仕組みになるんじゃないか


例えば、大切な家族が初期のガンであることが分かったときとか、進行性の認知症であることが分かったとか。
とにかく良い情報はないかと探すだろう。
家族が悪い状態になるんじゃないかという不安定で脆い精神状態を抱えながら。

そんな時に、普段からブログを書き、SNSにて発信を続けてきていれば、『助けて』と求めるだけで、多くの情報を集めてくれたり、そもそも専門の先生が繋がっているかもしれない。
そして、日々の他愛もない自分の情報が財産になって、自分の環境に合わせた情報が集まってくるだろう。

だから、日々の発信が大切なことだと思った。
つい先日に家族に大変な問題が起きて、心が折れそうになった。
ブログや撮影の活動なんか中止して、とにかく自分でたくさんの情報を集め、家族に接しようと思った。
でも、自分だけでやれることって限界があるし、ネット情報なんて嘘が8割くらいあるんじゃないか。

だったら、本当に将来の困ったときに何をすべきなんだろう。
信頼できる人とのネットワークを構築・維持することなんだ。
だから、いつか来るその時のために、今の生活や情報発信は続けようと思った。

ブログも書かず、SNSにも顔を出さず、ある日急に『困ってます!助けて!』と書いても、『大変だね、で、誰?』となってしまう。
旧来の友人くらいしか反応はないだろう。
そこに専門家がいればいいのだが、きっと「悲しいね」のカウントが増えるだけ。

つらいときのために。
毎日積み重ねていく。

見返りを求めた、下衆な考えかもしれない。

だったらさ、自分も助ければいい。
いつも情報発信している人が、何か困ってるようなことを書いたり、助けになりそうな情報を知ってたら、「いいね!」を押すだけじゃなくて、整理した情報を教えてあげよう。

自分がしてほしいと期待していることを、まずは誰かに自分がしてあげる。
互いに情報交換して信頼を築く。
そうやって、自分と合う人を増やしていけば、いい循環ができるはず。

コジロウ