規則を決める側になるか


人の生き方に誤りも正解も無い。
ただ、規則を破るのがカッコいいと思っている輩は、子供の頃からの生き方から変化できなかった人なんだと思う。
繰り返すが、だから悪いか良いかは人それぞれ。

学生時代までの子供の頃は、親や学校のルールや規則に友達みんなが縛られていて、それに反発してルールを破るのが、カッコいいと言う共通認識ができる。
(それが大半を占める)

社会人になると、縛られるルールは人それぞれになるが、ほとんどの人は、ルールを順守する中で自由に動くことこそカッコいいと言う価値観に変わっていく。

さらに年を重ねると、会社のルール決めや、親になったら家・子育てのルール、ひいては社会のルールを自らが変えたり生み出したりするようになる。
部下を持ち、部下に自分のルールを示すこともあるだろう。
こうなってくると、カッコいいイケてるルールを決められることこそ、真にカッコいいになってくる。

自らが生み出す段階では、
・自らの経験に基づいた草案作り
・関係者の知の収斂
・合意と承認
・施行までのプロセス管理
など、「決まった規則を守らされる側」とは全く違う知識が必要になる。
こっちに移行できるか否かで、かなり考え方は変わるはずだ。

こういった成長過程を全員が経るわけではないし、それだけが正しいわけではない。

しかし、たまに見かける、いい年してルール破るのがカッコいいと思っていそうな輩は、2段階目に移行する機会が得られなかったのだろう。
親にもなって、社会のルール無視な人もいる。

人の生き方はそれぞれ。
だが、違う段階の人同士ではわかり合うのは難しいのかもしれない。

学生時代は、気の合う親友と思っていた人も、久々に会うと、ふとした発言に段階の違いを感じて、すごく残念だったりする。

一方で、人生が変わるような出会いは、ステージや考え方に差がある人との出会いであることが多い。

ステージや考え方が合う人との付き合いと、そうじゃない付き合いはバランス良く取り入れる必要があるのだろう。

 

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空撮映像作家コジロウ
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